オタクのメモ

文章の練習

ネタバレあり感想: 玉葱とクラリオンの話と強い思い入れ

今日は下世話でゲスな話をする。 小説家になろう異世界転生もの小説 https://ncode.syosetu.com/n0632db/ のヒロイン談義についてだ。ちなみに完結済みである。 本作の魅力は、教科書に乗るような図解を伴う執拗なウンチクと、そのウンチクがもたらす社会の変容を事細かに描くことにある。 一般に流通したならウンチクは巻末に付録としてつけられるだろう。それくらい事細かい。それにより深く印象付けられた技術や文明がその後の物語を強い意味を持って飾り付ける。 それは物語では、主人公 但馬波留の知恵として繰り出され、結果として彼は国家を揺るがす詐欺師となり、異世界中を手玉に取る軍師となり、海の向こうまで轟く一大財閥の長としてのサクセスストーリーとなる。 その魅力について今回は語らず、ただひたすらに僕は下世話な話がしたい。 主人公 但馬波留と彼を取り巻く二人のヒロインの恋愛模様の話だ。言い換えると、アナスタシアの不幸属性強すぎやしないか話だ。

玉葱とクラリオンとヒロインレース

玉葱とクラリオンは二大ヒロイン体制を取っている。
堕落した修道院で育ち、花街で育った薄幸のアナスタシア、 騎士を志すも第一位の王位継承権を持つがゆえに許されない、元気が取り柄の姫君ブリジット。
ちなみに、僕はアナスタシア推しだ

アナスタシアもブリジットも魅力的なヒロインである。

アナスタシアはいわゆる薄幸の黒髪美少女で、幼い頃から娼婦として生きることを強制され 但馬に買われる形で引き取られたあとも苦しんでなお、 それでもなお異民族への迫害や戦災にたいしての憤りを行動に変える事のできる芯の強い女性であり、理想的だが人間みの感じられる。

ブリジットは但馬と最初に出会った人物であり、最初は割と高圧的な騎士様かと思いきや、 だんだんお気楽なところや脳筋なところが見えてきて、 ころっと但馬に騙されても気づかずなついているところが愛らしいし、 緊急のときや人々の生活に関わる事柄への反応の良さが速く、自分の憂いを後回しにしても 偏見の少なく効果的な行動が迅速に取れるという意味で作中で実は一番賢いのではないかと僕は見えている。いや、好意的な人物へのあれこれの比重が大きいけど、 上に立つ人物として生まれた彼女においては好ましいところだ。

本作の中盤は主人公 但馬波留と彼女二人の恋模様が描かれ、主人公の大きな選択においても彼女たちの存在が大きく影響する。 彼ら彼女らの恋愛模様は国家の存亡や世界情勢に関わる重要なものになるのだが、そういう小難しい話をすべておいて、 「アナスタシア、ブリジットが、但馬がそれぞれとくっついて幸せになれるか」という観点で話をする。

アナスタシアの不幸属性強すぎやしないか話 本題

結論を述べると、「アナスタシアの不幸属性が強すぎて乗り越えなきゃいけないポイントが多すぎてやばい」になる。作中で最終的にブリジットとくっついたのもやむなし(血の涙。

アナスタシアは但馬に対しての引け目があり、但馬はアナスタシアへの引け目がある。 列挙すると

但馬は

  • アナスタシアを娼婦として買ったこと
  • アナスタシアの幼なじみ シモンが、共に事業を立ち上げる最中に帰らぬ人となったこと
  • アナスタシアの実質的な保護者として立ち回っていたこと

を引け目に感じているし

アナスタシアは

  • 元娼婦であったこと
  • 但馬が社会的に驚異的な成功をし続けていること
  • ほとんど縁もない但馬に大金を出してもらったこと
  • その後の生活も保証され、庇護下にあったこと
  • 水車小屋( 娼婦小屋てきなあれそれ )の仲間への負い目
  • 父に捨てられたと思っていること
  • そもそも自罰的な性格である

というのがある。

これらを乗り越えるは物語として美しいが、まあ無理じゃねみたいな気持ちだ。 あと、但馬は異世界転生者として、つまり異邦人としての世界そのものに対しての疎開感を抱えて過ごしていて、 これを乗り越えるには強固な人間関係を築き上げることなんじゃないかと思う。 しかし、アナスタシアもまた異国に生まれ、親に捨てられた背景を持ち、コミュニティからの断絶があるわけで、 同じ傷を持つものが寄り添ってもいいことねえなあみたいな感じである。作中通して二人は、家族であり少し共依存的な描写が多かった。 ふたりとも理知的なのでそれに気がついて同行しようとおもっていろいろやっている描写がたまらんかったのだが、対等の立場を 構築する障害があまりにも多かった。、シモンがアナスタシアを好いていたことをいつまで立っても引け目に感じているというのもある。

また、二人が出会ったときアナスタシア10歳、但馬17歳で但馬は現代的な価値観を持つ人物であるから、 相応に苛まれるだろうし、二人が一瞬だけくっついたのも、世界かアナスタシアかみたいな極限状況だったからで、 二人の人格がいい悪い云々の前に出会いが悪かったんじゃねーかというやつだ。

ブリジットは自意識がしっかりしていて悩んでも自分のうちで解決できる自立した芯の強さがあり、 割と人間として憧れる。寄る辺なき異邦人としての但馬を支える強い力を感じている。

以上、下世話な話というか推しヒロインがだいたい辛い目に合うのが悲しくて怪文書を書いてしまう

以上、推しヒロインが主人公と刹那的にくっついてビターエンドに終わって悲しい人の感想文でした。
二人の子がいるのでバッドエンドではないし、こういうオタク的怪文書を書いてる時点で感想文じゃねーよと思うけどオタクのメモだから気にしない。 もちろん、作劇の都合上、王配候補になったほうが展開が大きくできるとか、冷静な視点ではいろいろ言えると思うけどこまけえことは知ったことじゃないんだよ!!!

とある飛空士への誓約でも推しヒロインたるミオがあれしてこれになったのも悲しかったし、割と好きになるヒロインが主人公と刹那的にくっついて、逆らえぬ大きなもの(社会情勢、世界の命運、国家の存続)に身を捧げる展開になりやすくて悲しい。とても悲しい。

映画感想文: グレイテスト・ショーマン

www.foxmovies-jp.com

原題 "The Greatest Showman" 邦題「グレイテスト・ショーマン」を見てきた。 これはアメリカで19世紀に活躍した采配師P・T・バーナムの生涯をもとにした伝記、ミュージカル映画だ。 前向きで筋肉質な捉え方が一貫したすんばらしい映画だった。 ここでは、僕が劇場で笑いながら見ていたポイントをお話したいと思う。

もちろんネタバレ上等である。注意して。

"The Greatest Show" Intoroduction

映画が始まってすぐ、派手な色のスーツにシルクハットをかぶった主人公P・T・バーナムが舞台裏からショーの舞台に躍り出るシーンからはじまる。
ここの低く響く足踏みの音が好きだ。この音が腹に響いて今から始まる映画への期待をぐっと引き上げてくれる。
今から始まるのは夢の舞台で彼はその采配師なんだと惹きつけてくれるんだ。

また、これは主人公バーナムが将来に得る栄光の姿を少しだけ見せてくれる。 バーナムは"世界最大のショウ"を人々に魅せつけることで成り上がった成功者である。 だから彼の人生を描くにあたって若き日々の苦痛を前半で描くことになるのだが、 娯楽を求めて止まない僕は彼の困窮する日々を見るのが実に退屈だった。 それでも見ていられたのはこの世界最大のショウのフルパートが見たいからだ。 期待を持たせるすべがすごい。 そして僕の期待を裏切らず世界最大のショウは描かれた。

The Other Side

僕が一番笑ったシーンだ。家で見てたら声出してゲラゲラ言っていたはずだし、 インターネットの性格の悪くて楽しい奴らと一緒に見たかった。
"Come Alive"のシーンを経て一役成功者となったバーナムだが、 彼は金銭的に成功しても人々からの尊敬と上流階級の支持を受けられずにいた。それを克服するために、彼は一人の若者を口説く。 上流階級に強く若くして名誉を得た作劇家フィリップを口説くシーン。

こいつが最高に楽しい。

二人ともチケットを売る大変さで理解し合えるくらいだからお互いの印象は悪くない。 何ならバーナムはフィリップを一見していけ好かない若造とか言っていたくらいだ。 そのバーナムが酒の席でバフィリップを飲み明かしながら誘うのだが、 バーナムは常に対等かそれ以上のように振る舞う。 バーナムはフィリップの上流階級に受け入れられる作劇の才能とコネクションが形振り構わずに欲しいはずだった。 でも、決めるのはフィリップだと常に言い続けながら口説くのだ。 成功と名誉が確約されている若者を口説く悪い大人の姿だ。 しかも名誉を、上流階級どころか一部の市民にも毛嫌いされているバーナムとともに行動することで失う代償に提供したのは何か。 それは冒険だと言う。上流階級とともに行動することでは見られない閉じた世界での成功ではない、開かれた自らの才覚で手に入れた成功を得られると言う。
悪い大人の中でも最悪に近い類の大人の姿が描かれている。

"The Other Side"は一連の流れの歌なのだが、まったく乗り気ではないフィリップがだんだんとその気になっていく姿と 最後には取り分の交渉まで始めてしまう姿が最高だった。

The Greatest Show

僕が最高に楽しみながら見ていたシーンだ。 バーナムが紆余曲折を経て、興行主として舞台に立ち開幕で見せた世界最大のショウを演じる。 始めのパートでは舞台裏から舞台に躍り出るシーンで終わってしまった。 その後のサーカスとしてのすべて、芸をする象、火の輪くぐりをするライオン、歌い子、空中ブランコ、その他 サーカスとして想像されるすべてがミュージカルとしてスクリーンに映し出される。 ひたすらに最高だ。

出来上がっていくサーカスとしての姿

もう一つ感動的だったのがステロタイプとしてのサーカスとしての姿が出来上がっていくことだ。 見世物小屋としてのサーカス、舞台としてのサーカスの姿が段々と僕たちの知るものになっていく。 クライマックス直前に、もっとも象徴的な要素、"巨大なテントを張った下で行われる"と気づいた瞬間に、 ステロタイプの姿が完成し先に語った"The Greatest Show"が始まる。 最高としか言いようがなかった。

細々としたもの

見世物小屋としてのサーカスもわずかに描かれた都合、その時代に抑圧された人々を描いているのだが 彼らをバーナムがどのように待遇したのかも描かれていて印象的だった。

退学した日

退学した日に書いたが公開しなかったエントリを書き残す。 あの時の感情を残すため文面は修正していない。 面白コンテンツの一欠片として広大なインターネットの海に沈めることでこの文章の供養とする。

大学をやめた日

2017/03/31日付けでとある大学の情報系の学科を中退した。晴れて最終学歴 高卒である。 主に友人、知人への近況報告を兼ねたエントリである。なにかの間違いで全く興味のないあなたの目に 止まってしまったらすまない。 http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9 後述の物事は隠す方が人付き合いとして不義理だと思うし、なんかちょっといいそびれちゃって隠したことになる 方が問題だと思うのでインターネットに放流する。

大学の先輩が辞めたときのGPA0.0だったんだぜみたいなこと言って笑っていた過去の自分を諌めたい気持ちだ。 おまえもまたGPA0.0なんだ。 大学二年生を三回やった。 二年留年したうちの一年はソフトウェアを読んで過ごし、もう一年は書いて過ごした。 twitterにたくさんいる同じ穴の狢みたいな人々とアニメとクソアニメとネットコンテンツで遊び、 githubの草を一人粛々と生やしていた。

 直接的な理由は大学規則による成績不振のための除籍処分の勧告をうけたためである。 ちなみに現行の大学事務における除籍処分は在学記録自体は残るため、 他大学への編入学転入学などの手続きは可能らしいですよ。 また、退学するのは僕なのに届け出は退学願だった。教授会の承認?かなんかが必要というのは 摩訶不思議な話だ。  退学チキンレースを競っていた友人とは「一緒に退学だね!?」などという心温まる会話をし、 同期の桜(今年度卒業)とは「一緒に学び舎を去るんだね!?」などという心温まる会話をしている。

大学を辞めた原因の話をしよう。

根本的な原因は書類処理が著しくできないことだった。 言いかえれば、レポートが書けないのだ。

はじめは、他の学生とかけ離れて能力に差があったわけではないと思う。 彼らもまた、先生方からの指導をうけ必要な能力を養ったに過ぎない。 僕と彼らの違いは、1つめを作れたかにある。 僕は不完全な初稿を提出することが出来なかった。 学生実験に問われている要旨がわからなかった。 必要な図式、公式、その導出過程。実験指導用の小冊子にほとんどのことが まとめられているにもかかわらず書いて提出することが何故か出来なかった。

それと同様のことを多くの講義で繰り返していたら単位を落として留年した。

また、大学コミュニティになんとなく馴染めなかった気がする。 教え合いや過去問の融通での能力の底上げはまっとうな振る舞いだから能力に自信のないやつはやっとけよって感じだ。 そう思える理由はいくつかあって、指導教員と喋ったのが顔合わせと退学の印鑑もらうときの二回だけであったり、 レポートや突然の休校の情報が流れてくる学科LINEの存在を知らなかったり(留年してからしったが後の祭りである) 一人で図書館にこもっていることが多かったりなどだ。

 個人的な嗜好として、学業の範囲で絶対的な上位者である教員とやりとりするのに嫌悪感があったことも理由だ。 先生方のことは全く嫌いではないし、その業績について心より尊敬している。ただ、なーんかいやーな感じがしたため、 教員とのやりとりを最小限にしたくなり、あまりあれこれ連絡を取らなかった。

これは悪い点ではないが、DNSの面白さに目覚め、RFCを読みミドルウェアの実装に興味が湧いた。 ネットワークを管理する団体の手伝いをしていたため、Unixの基礎(on FreeBSD)はそこで教えてもらった。 はじめはサーバ管理、次にconfを効率良く書くためのvim script、 vim pluginを作りたくてソフトウェアの実装のことを調べ、プログラミング言語の手法について調べ、 なぜかhaskellにはまり型システムにはまりコンパイラにはまった。TaPLとATTaPL面白い。 結果、プロトコルパーサやコンパイラの素朴な実装、ミドルウェアの拡張でずっと遊んでいた。 特にDNSとHTTP(S)はユースケースと歴史的経緯が絡み合って魔境と化していて、 例えるならネットゲームのエンドコンテンツのような喜びを感じる。TLS1.2の振る舞いも一々挙動がクリティカルで面白い。

大学において救いの手はあった。作った適当なライブラリを授業で提出して評価に困らせた(その単位は別の理由で落とした)教員が気に入ってくれて、食堂でご飯食べてると「最近どう?」と声をかけてくれていた。再履修の講義(まだ単位を取る元気があった)ときに質問に行った教員が「アカデミックむいてなさげだし大学やめて就職したら?」みたいな温度感で雑談に乗ってくれたり先生方は優しかった。

制度に問題がなく、人員に問題がなかった場合のこの成果は完全に自らの不徳のいたすところである。 学を成せなかったことに後悔の念が尽きることはないが、 幸いなことに*nix好きの商売っ気がないギークでも飯を食う術はそれなりにあるようだし、 今年もRFC1034の整然としない記述を読み https://github.com/quicwg/base-drafts のissueを精査しながら、アニメと映画に埋もれて楽しく生きていたいと思う。

ネタバレあり感想「打ち上げ花火、下から見るか、横から見るか」

2017/08/19付けで公開された「打ち上げ花火、下から見るか、横から見るか」(以下、"打ち上げ花火")の感想を散文として書く。

 一クソアニメウォッチャーとして、酷評の声が大きい"打ち上げ花火"は 是非見なければならないと思い、8/20にスパイダーマンと一緒に見てきた。 マーベル・ユニバースはハズレが少なくて良いね。 エイジオブウルトロンを見てないのを始まった瞬間思い出したけどどうにかなったよ。

ちなみに、僕は今作以前の"打ち上げ花火"作品達を鑑賞していない。

www.uchiagehanabi.jp

結論から言うと"打ち上げ花火"は面白かった。 あと、最後のカットについての解釈の話は誰かと居酒屋ですると楽しいと思う。

中身の話

物語

 アニメ映画向きではなかったと思う。 アニメ映画はやっぱり良くも悪くもわかりやすさが大事で、 誰か一人でもわかりやすい結果が得られるとうれしい。  この"打ち上げ花火"では結末も濁されているし、 登場人物のスタンスの描写があまりない。 この辺の読み取りを90分の映画のうちでパッパッパとやるのは なかなか大変だった。

 この作品は揺れ動く十代前半の少年少女の人間関係とか 自尊心とか居場所とかを扱っていた。 その比喩として2つのガジェットが出てきた。 水晶の珠と花火だ。 水晶の珠の使い方はわかりやすかったけど、 花火のたとえはアニメーションでやるには繊細すぎたんじゃねーかなーって思う。

ヒロインなずなの造型

ヒロインなずなは悪女だった。 僕はこの作品を見ていて「ロリータ」のドロレスを思い出した。

 13歳で才色兼備、艶のある黒髪に白い肌。しかし、母は幾度と再婚をしていて、家庭環境は安定しない。 こういう少女との交流から始まる現代異能ものとか腐るほど読んできたし読み足りないからかなりワクワクした。

 お母さんが三度目の再婚(予定)相手と再婚にあたって住居を移す会話をするシーンがあるのだが、このときのお母さんのセリフが好ましくない。  再婚相手がなずなの人間関係や環境が変わることを憂うセリフにたいして、 なずなにそんなものを考慮する必要がないという。 そこからなずなの陰を感じ取ることが出来る。

 なずな自身も二人の同級生を成り行きで駆け落ちに巻き込もうとしている点で 13歳にして悪女の貫禄を見せている。

 こういう、陰のある美女/美少女にたぶらかされたい男の理想を形にした感じのあるキャラクターをアニメキャラにして一般層に受けるのかはかなり疑問である。

祐介

CV:宮野守、医者の息子であり典道の友人である祐介について思ったこと。 先になずなにターゲットとされるのが祐介なのだけど、 常日頃、友達になずなが好きと言っておきながら、 なずなに誘われたらすっぽかすのが、センサー強くてすごいなと感心した。 そのまま誘いに乗っかったらなりゆきで駆け落ちコースの時にである。 そういうセンサーがついてるのかしら。

キャスト

TVドラマ役者の主演のお二人の演技が見ていられないという声は多い。 それはやはり周囲のキャストを本職の声優で固めた点にあると思う。 ものすごく下手というわけでもないがこなれてなさはたしかにあった。 ギャーギャー言うほどではなかったし、 ジュブナイル青春物語の今作において、 こなれてなさはむしろプラスポイントとして受け取れた。

ただ、シャフトって絵の美しさが売りで動画の枚数意外と少なかったりするから、 そこへの没入感を妨げる要素があると蛇蝎のごとく嫌われるのもしかたない。

外側の話

 広告と座組

広告の撃ち方、役者の使い方なんかがどことなく君の名はに影響をうけてるような気がした。 もしかしたら君の名は人気にあやかって企画が通ったのかもしれないし、 僕の邪推のし過ぎかもしれない。 ともあれ、そこはあんまり重要じゃない。

僕はキャスティングと主題歌が菅田将暉と米津玄師であるところに注目したい。 これ朝井リョウ「何者」と組み合わせが同じだ。 ここに狙いたい層がだいたい「何者」と同じような層なんだと想像する。 たぶん、カップル層、もしくは楽しくウェイウェイ出来る人たちに見えたい映画だったと思う。

シャフトと新房監督のタッグのネームバリューはガッチガチのアニメファンじゃない人でも知っているかもしれないレベルに高いと思うのでそこを狙ったんだと思う。

まとめ

文学、文芸的な趣のつよい今作。 なずなのキャラ造型と相まってすごくマニアうけする作品だ。 多くの部分を読者の想像にまかせているから一人で見に行って浸ってよく考えてからマニア共と喋ってわいわいするのが楽しいと思う。 間違っても、カップルやファミリー向けに薦めるタイプの映画ではなかった。

そいつを恋愛邦画のような広告の撃ち方のをしていたのが、今作酷評の原因である。

リリエールと祈りの国がすばらしく好みに合った話

リリエールと祈りの国がやっぱり好きだったので感想をかく。
面白いではなく好き。ほんとうに好き。
多分、人を選ぶタイプの本である。描写に過激さがあるとか、特殊性癖にかたよったとかではない(と思う)。
ただ、話の構成が、結末が、許せない人も数多くいると思ったし前作を人に勧めたときもそんな感じのことを言われた記憶があるから断っておく。

リリエールと祈りの国は、GA文庫から2017/3/15日に発売されたライトノベルである。
作者は白石 定規さん、挿絵をあずーるさんが担当されている。
祈りの国、領域都市クラウスレイン。すべての祈りが叶うその国で戎呪屋リクレスの店主リリエールと、助手のマクミリアが繰り広げる楽しく愉快でほんのり切ないハートフルコメディ。

白石 定規さんとあずーるさんのコンビは、白石 定規さんの前作『魔女の旅々』からの継続だ。 前作と世界観も共有していて、前作の主人公イレイナさんも登場人物としてがっつり出てくる。いわゆる姉妹作ってやつである。 『魔法使いハウルと火の悪魔』と『アダブラと空飛ぶ絨毯』の関係と同じものを感じた。前作の登場人物がガッツリ出てきて、キーワードも ちょいちょい前作からの重要アイテムから引用されていて、でもお話の主役を張るのは表題の人物だ。 今までのファンにも優しく、これからのファンにも優しい。ウィン・ウィンだね。

閑話休題

内容の話をしよう。
祈りの国、クラウスレインには大聖堂がある。そこで捧げられた祈りはたまーに、気まぐれのように叶えられる。 たまーにでもかなっちゃうものだから、人々は祈りを捧げつづけ、ついには大聖堂の機能がおしゃかになりはじめた。 たまーに気まぐれのように、歪んで叶えられ始めた願いは、それでも叶えられるものだから人は祈りそして歪んだ願いがこの国を傾ける。 それでも人は祈るのをやめない。

その国で表題にもなっている謎めいた女性リリエールが営むのは呪いじみたい祈りを解く戎呪屋リクレス。 そこで起こる様々な"祈り"を助手のマクミリアの目線から書かれていく。

いろいろジャンルのフェチが挟まっているけれど、大筋としてはリリエールとマクミリアのバディものだった。 こういう形のお話は探偵ものに多くて、しかもライトノベル系の書籍だとおおすじが決まっている。と勝手に思っている.

リリエールのことをマクミリアが大好きで大好きで仕方なくて、 無下にされても袖に振られても健気についてって最後の最後でリリエールさんが特大の報いをくれる。 みたいなあらすじが多い。そういうのはお作法に従って作られていて手堅く面白い。

リリエールと祈りの国は探偵ものじゃない。コメディだ。 世知辛くてしょっぱい祈りの国クラウスレインにて楽しく暮らす少女たちのどうにもならない愉快なお話である。

何が言いたいかというとリリエールが徹頭徹尾マクミリアのことを大好きだってことが伝わってきて仕方ない。 かまってほしくてそっけなくしたり、休みの日にぼんやりしながら助手が来ないか待ってみたり、とても愛らしい。 平時の描写から伝わってくるリリエールの姿は、思慮深く計算のできる優雅で美しい女性である。 幾年経っても姿が変わらない描写からはまるでおとぎ話の美しく良い魔女であるかのような風情もある。

しかし、 マクミリアが絡むと容姿相応(年相応ではない)の少女のような描写が増える。傾きゆく国で楽しそうにグチグチいいながら暮らす少女が一人、作中に増えるのである。 ここ、この点がこの作品の大変に面白かったところだ。

幾年経っても姿の変わらない秘密めいた女性、魔法使いの最高位"魔女"まで上り詰めた旅の少女、孤児院の出で冒頭で行き倒れてた無職。 傾き滅ぶことがいずれ目に見えるこの祈りの国で、それでもなお関係ないとばかりに楽しく笑って遊んで暮らしている。 彼女たちは起こりゆく事実をだれよりも間近に見つめている。
そうだろう、彼女たちは祈りを解くことができるのだから。
しかし、祈りを解きつつ楽しく暮らしているのだ。
滅びゆく街を見捨てず救わず、唐突に崩壊させない手助けをしつつ、緩やかな崩壊を見過ごし来るべきときを待ちながら、愉快痛快に暮らしている。 その悠然とした暮らしぶりを300ページ楽しく街の中を散策するがごとき小説、それが今作だった。

劇的に手をくださない。代わりに、そこで暮らし続けるだろう彼女たちの姿が想像できる良い作品だ。

余談

あと、今作もまた微妙にメインストリーム外している感じがすごくして"魔女の旅々"のごとく数冊で打ち切りになる雰囲気がものすごくするので
ファンレターの一つも送って応援でもしようかなと思っている(今日び、紙の手紙の一つも送られる作家さんは編集部もそれなりに注目するというインターネットの噂を信じて)。 あっ、今作でもイレイナさんは普通に良い顔して金にがめついぶれなさを発揮していた。この話は長くなりそうだから魔女の旅々の感想を別に書いたついでに書こうと思う。

俺たちのクソアニメの話を始めよう

はじめに

 これはtwitterで、僕と僕の友人、更にはtwitterでの良き隣人たちが好んで見るクソアニメというものについてお話します。 あくまで僕の身内言葉なので、アニメファン事情一般に当てはめてDisったりAgeたりするのはやめましょう。
主語は俺たちで、俺たちとは「僕の仲間内」です。

まず、結論として

君の思うクソアニメがクソアニメだ。ただし君の思うクソアニメが他の人にとってクソアニメとは限らない。
強制してはいけない。強要してはいけない。君の自由はアニメをクソアニメだと思い、そう感想を言うことだけだ。

ということを共有しておきます。ってか、これで終わりなんだけど、怪文書を書き上げます。

前提

多くの引用をniconico大百科から行います。アトモスフィアだけ受け取ってもらえればいいかなぁって思ってるからです。

僕の見方

 僕は"00年代以前のアニメ事情に明るくないし"05くらいまでの深夜アニメにもまた明るくありません。 幼少のみぎりにCCさくらを見ていた世代であり、ポケモンとともに生きてきた世代です。 オタクとしての気づきを得た時には涼宮ハルヒは既に新刊がでなくなっていたし、けいおんが始まったあたりが 気づきの始まりでした。なので、"10年くらいからの深夜アニメ事情に限ります。

石鹸枠

dic.nicovideo.jp

石鹸枠と呼ばれるアニメのジャンルとも言えない何かが存在します。 言葉自体の始まりは星刻の竜騎士OPの空耳からなのですが、ある種のお約束を 守ったアニメのことを石鹸枠と呼ぶ人たちは未だ極一部に残っています。

クソアニメ

dic.nicovideo.jp

クソアニメと言う言葉も毎週10本から20本アニメを見る人たちには浸透しています。 およそ、石鹸枠と呼ばれるアニメとかぶりますが、制作スケジュールの都合などにより、 話は面白いのに作画がぷるんぷるんしている*1アニメなどをクソアニメと呼ぶ場合があります。 俺!ツインテールになります! の惨劇は記憶に新しいですね。

神クソアニメ

dic.nicovideo.jp

クソアニメをクソアニメと呼ぶ人たちの中でなんとなく共有されている概念がこれに値します。 僕と僕の友人たちも、
「聖戦ケルベロスはクソアニメじゃない」
ハンドレッドはおもろくなってきたからクソアニメじゃなくなってきて残念だ」
魔法戦争は完璧だった」
「レイカン!はいいクソアニメで好きだった」
城下町のダンデライオンはクソアニメじゃなくてハートフルロイヤルファミリーアニメ、たまにロイヤルインモラル。フルハウスみたいなもんだ」
などという感想を言い合い喜んでいます。
城下町のダンデライオンあれで続きがまだ出てるらしいので、単行本化が待ち遠しいですね。

本題

  • 石鹸枠はクソアニメなのか
  • クソアニメは楽しいものだ
  • 話の理解できないアニメはクソアニメなのか
  • クソアニメと趣味が合わないアニメ

の4本立てでお送りします。

石鹸枠はクソアニメなのか

 ライトノベルの文法として確立された種々の要素。 その濃度が高ければ高いほど石鹸枠認定される確率はあがります。 しかし、それはカレーの具材が一通りそろっているからそれはカレーだと言っているようなもので、 その中身の素晴らしさについては一言も言及するものではありません。 つまり石鹸枠であるからと言ってクソアニメであるとは限らないものです。

クソアニメは楽しいものだ

話の理解できないアニメはクソアニメなのか

 僕はこの話題のやり玉として「ガンダム Gのレコンギスタ」を挙げたいと思います。
僕が始めて1話から最後までちゃんと見たガンダムはこれがはじめてです。 正確にはビルドファイターズ 1st, 2ndを見たことがあったり、友達に押し付けられた(どのシリーズか忘れた多分UC)の 1話だけを見た事がありました。でも始めて見たのはレコンギスタで次に見たのはオルフェンズです。

レコンギスタがクソアニメか。 全くそんなことはありません。ガンダムによるガンダムのためのガンダムであり、富野マインドを詰め込んだガンダムGのレコンギスタです。 であるからこそ、初見の僕にとってそれは一見様お断りの看板のついている店に間違えて入ってしまったようなものでありました。 もっともつらいのは、一見様お断りの看板が店内でお座敷に入るまで付いていないお店だったことです。 故に僕は見ている間はレコンギスタのことをクソアニメと呼びました。

だけど、だからこそレコンギスタの価値はあり、価値がないのです。 僕にとってのクソアニメは、誰かにとっての神アニメであり、狙いの絞りすぎた100人いたら10人にヒットするクソアニメだったのです。 つまりクソアニメは楽しいものであると宣言する。

クソアニメと趣味が合わないアニメ

 オトメイトアニメのことを僕はクソアニメと呼ぶことがあります。 ただ、本当にあれらがクソアニメだとは思っていません。 オトメイトには乙女ゲーの文脈がありお約束があるでしょう。 それに沿った作品がオトメイト作品ファンに求められていることは容易に想像がつきます。
 これもまたマインドが一致しなかったのです。

まとめ

クソアニメは心です。理解できない文脈、共有できない喜び。 そういったものを与えられ続けるときその人にとってのクソアニメは生まれます。 共有できないものを認識することにこそクソアニメのたのしみがあると言って良いでしょう。

ぶっちゃけ、なんでもいいから好きなアニメだけみてればいいってもんです。。 あと、ギルティクラウンが忘れられない人たち一緒にカバネリ見て喜びましょう。僕と感性を共有できる人々よ。

プロダクションI.G. 6課 現 W.I.T Studioの人たちを強く応援し続けています。

www.witstudio.co.jp

*1:作画が崩壊してるの意、アニメ SHIROBAKOの作中劇により由来する

僕の最も応援しているシリーズ構成/脚本/原作家の話

虚無 Advent Calendar 2016 - Adventar の24日目です。

けいぞうです。 今日はTVアニメの脚本、シリーズ構成を主に担当しご活躍されている吉野弘幸に関するエントリです。

代表作

コードギアス 反逆のルルーシュ」「マクロスF」「ビビッドレッド・オペレーション」(副)シリーズ構成、 「凪のあすから」「艦これ」脚本 などを担当する方です。 SHIROBAKOの舞茸しめじ氏のヴィジュアルの方のモデルでもあります。(中身は奈須きのこ氏らしいです」

特徴

おおよそにして、異能アクションものの脚本を担当されることが多く 脚本が大味で、その場の勢いで展開が進むタイプのお話を書く方です。 最近だと艦これ 3話"如月 轟沈"回などで批判の声をよく見ました。

大学の先輩である大河内一楼氏と大変仲がよろしいそうで、大河内一楼氏(∀ガンダム、ヴァルヴレイヴなどで有名)とよくタッグを組み コードギアス 反逆のルルーシュで共に仕事をし、「コードギアスは大河内主導だったんだから、次は吉野主導でアニメ作るぞ」 となってギルティクラウンが作られるくらいには仲が良いと聞いています。あくまで噂です。

愛すべき点

彼の書く脚本の素晴らしくところは目に見たB級感があること。すべての前フリはあからさまに行われ、 奇をてらったところはまったくありません。 街に十字路があればパンを加えた女の子が走って来ます。 戦争が終わったら結婚すると言う兵士は必ず死に、 胸にお守りのコインがあれば、銃弾の方から突き刺さりに行くでしょう。

少しばかりでもその気配を匂わせたフラグはかならず践んでいく。 そういった作品をつくるのが吉野弘幸氏です。

争論のタネ

彼は情緒を描くのを好みません。男女の細やかな揺れ動き、 憧れの先輩への憧憬、故郷に残した妻子。 そういった要素はすべてフラグへの踏み石に過ぎず、 人間関係は大した意味をもちません。

気がつけば、学校の同級生の優しいあの子は路傍の石のごとく死んでいて、 先輩は心無い言葉を放つでしょう。故郷は気がつけば火の海に沈んでいるかもしれません。 主人公はそれに悔いるばかりで現状を見ようとしないこともままあります。 簡単にダークサイドに落ちることも珍しくありません。

また、共感し難いキャラクターが作中で絶大な支持を集めるなど、 共感し難い展開になることも多い。

希望

そういった彼が最高に輝く作品の傾向はいくつかあります。

  • 異能アニメであること
  • 主人公はないしストーリーのメインに据えられているのが女性であること
  • 百合ないし類する情緒を描いた作品であること
  • ビターエンドであること
  • 少女をとりまく環境を描く作品であること

です。 悲しいかな。彼は変態なのです。聖痕のクェイサーの原作を担当しあのクオリティを維持し続けたことからも窺い知れるでしょう。 よく訓練された変態であるがゆえにラノベ的なラッキースケベへの道すじを見事に描き上げ、 変態であるがゆえに超常の能力をかっこよくケレン味に満ちて描くことが巧みであります。 そこに彼の好物である少女同士のそういった描写が入れば彼の筆は最高に輝き、粗雑であっても勢いに満ちた素晴らしい作品を与えてくれます。

2016秋アニメ、彼がシリーズ構成を担当した作品を一つ見れば分かるでしょう。 そのタイトルは

izetta.jp

終末のイゼッタ、少女たちが世界に挑む。 ハイティーンの少女らの麗しき友情を描いた作品。 これこそが彼の真骨頂であり、素晴らしくハマった作品でした。 これはよく出来た艦これ 3話 "如月 轟沈"回です。 しかし、これが男女の機微になると情緒を描くことを忘れケレン味のある絵に話をまとめることにしか意識が行き届きません。 故に、綺麗なゴミともいわれたギルティクラウンが生まれました。

まとめ

僕は彼の書くケレン味に満ちた作品が大好きです。 ギルティクラウン、終末のイゼッタ、ヘヴィーオブジェクトビビッドレッド・オペレーション劇場版とある魔術の禁書目録 エンデュミオンの奇跡。 どれもこれも話は粗雑で、しかし心の中の14歳を駆り立てる素晴らしさがあります。 今後も原作をざっくり切り抜いてケレン味のあるところだけをフィーチャーし、情緒を無視してアニメファンを激怒させ続けるであろう吉野弘幸氏。 2chニコニコ大百科も常に火種が燻ぶっている吉野弘幸氏。 カタルシス10割のそのB級な作品を作り続けるそんな彼を応援してみませんか。