俺たちのクソアニメの話を始めよう
はじめに
これはtwitterで、僕と僕の友人、更にはtwitterでの良き隣人たちが好んで見るクソアニメというものについてお話します。
あくまで僕の身内言葉なので、アニメファン事情一般に当てはめてDisったりAgeたりするのはやめましょう。
主語は俺たちで、俺たちとは「僕の仲間内」です。
まず、結論として
君の思うクソアニメがクソアニメだ。ただし君の思うクソアニメが他の人にとってクソアニメとは限らない。
強制してはいけない。強要してはいけない。君の自由はアニメをクソアニメだと思い、そう感想を言うことだけだ。
ということを共有しておきます。ってか、これで終わりなんだけど、怪文書を書き上げます。
前提
多くの引用をniconico大百科から行います。アトモスフィアだけ受け取ってもらえればいいかなぁって思ってるからです。
僕の見方
僕は"00年代以前のアニメ事情に明るくないし"05くらいまでの深夜アニメにもまた明るくありません。 幼少のみぎりにCCさくらを見ていた世代であり、ポケモンとともに生きてきた世代です。 オタクとしての気づきを得た時には涼宮ハルヒは既に新刊がでなくなっていたし、けいおんが始まったあたりが 気づきの始まりでした。なので、"10年くらいからの深夜アニメ事情に限ります。
石鹸枠
石鹸枠と呼ばれるアニメのジャンルとも言えない何かが存在します。 言葉自体の始まりは星刻の竜騎士OPの空耳からなのですが、ある種のお約束を 守ったアニメのことを石鹸枠と呼ぶ人たちは未だ極一部に残っています。
クソアニメ
クソアニメと言う言葉も毎週10本から20本アニメを見る人たちには浸透しています。 およそ、石鹸枠と呼ばれるアニメとかぶりますが、制作スケジュールの都合などにより、 話は面白いのに作画がぷるんぷるんしている*1アニメなどをクソアニメと呼ぶ場合があります。 俺!ツインテールになります! の惨劇は記憶に新しいですね。
神クソアニメ
クソアニメをクソアニメと呼ぶ人たちの中でなんとなく共有されている概念がこれに値します。
僕と僕の友人たちも、
「聖戦ケルベロスはクソアニメじゃない」
「ハンドレッドはおもろくなってきたからクソアニメじゃなくなってきて残念だ」
「魔法戦争は完璧だった」
「レイカン!はいいクソアニメで好きだった」
「城下町のダンデライオンはクソアニメじゃなくてハートフルロイヤルファミリーアニメ、たまにロイヤルインモラル。フルハウスみたいなもんだ」
などという感想を言い合い喜んでいます。
城下町のダンデライオンあれで続きがまだ出てるらしいので、単行本化が待ち遠しいですね。
本題
- 石鹸枠はクソアニメなのか
- クソアニメは楽しいものだ
- 話の理解できないアニメはクソアニメなのか
- クソアニメと趣味が合わないアニメ
の4本立てでお送りします。
石鹸枠はクソアニメなのか
ライトノベルの文法として確立された種々の要素。 その濃度が高ければ高いほど石鹸枠認定される確率はあがります。 しかし、それはカレーの具材が一通りそろっているからそれはカレーだと言っているようなもので、 その中身の素晴らしさについては一言も言及するものではありません。 つまり石鹸枠であるからと言ってクソアニメであるとは限らないものです。
クソアニメは楽しいものだ
話の理解できないアニメはクソアニメなのか
僕はこの話題のやり玉として「ガンダム Gのレコンギスタ」を挙げたいと思います。
僕が始めて1話から最後までちゃんと見たガンダムはこれがはじめてです。
正確にはビルドファイターズ 1st, 2ndを見たことがあったり、友達に押し付けられた(どのシリーズか忘れた多分UC)の
1話だけを見た事がありました。でも始めて見たのはレコンギスタで次に見たのはオルフェンズです。
レコンギスタがクソアニメか。 全くそんなことはありません。ガンダムによるガンダムのためのガンダムであり、富野マインドを詰め込んだガンダムがGのレコンギスタです。 であるからこそ、初見の僕にとってそれは一見様お断りの看板のついている店に間違えて入ってしまったようなものでありました。 もっともつらいのは、一見様お断りの看板が店内でお座敷に入るまで付いていないお店だったことです。 故に僕は見ている間はレコンギスタのことをクソアニメと呼びました。
だけど、だからこそレコンギスタの価値はあり、価値がないのです。 僕にとってのクソアニメは、誰かにとっての神アニメであり、狙いの絞りすぎた100人いたら10人にヒットするクソアニメだったのです。 つまりクソアニメは楽しいものであると宣言する。
クソアニメと趣味が合わないアニメ
オトメイトアニメのことを僕はクソアニメと呼ぶことがあります。
ただ、本当にあれらがクソアニメだとは思っていません。
オトメイトには乙女ゲーの文脈がありお約束があるでしょう。
それに沿った作品がオトメイト作品ファンに求められていることは容易に想像がつきます。
これもまたマインドが一致しなかったのです。
まとめ
クソアニメは心です。理解できない文脈、共有できない喜び。 そういったものを与えられ続けるときその人にとってのクソアニメは生まれます。 共有できないものを認識することにこそクソアニメのたのしみがあると言って良いでしょう。
ぶっちゃけ、なんでもいいから好きなアニメだけみてればいいってもんです。。 あと、ギルティクラウンが忘れられない人たち一緒にカバネリ見て喜びましょう。僕と感性を共有できる人々よ。
元プロダクションI.G. 6課 現 W.I.T Studioの人たちを強く応援し続けています。